北海道南西部、渡島(おしま)半島東岸の函館市南茅部(みなみかやべ)地区に所在し、垣ノ島川沿岸の標高32~50メートルの海岸段丘上に立地します。水産資源豊富な太平洋に面し、後背地には落葉広葉樹の森が広がっていました。
集落内では、竪穴建物による居住域と、土坑墓からなる墓域が分離されており、日常と非日常の空間が区別されていたことを示しています。漁網用の石錘が多く出土しており、漁労が活発に行われていたことがわかります。また、墓には子どもの足を押しつけた足形付土版が副葬されることがあり、この地域特有の精神文化を伝えています。
本資産は、定住開始期後半の集落遺跡であり、沿岸地域における生活や、耐久性があり長期間居住できる竪穴建物の出現、日常(居住域)と非日常(墓域)の空間の区別など、集落の様子や精神文化の変遷を示す重要な遺跡です。また、紀元前2,000年頃に構築された長さ190メートルに及ぶ「コ」(U)の字形をした大規模な盛土遺構は、国内最大級の規模です。「送り場」など祭祀・儀礼の場と考えられ、当時の社会性や精神性の変遷を示す遺構として、今なお視覚的に確認できる重要な記念物です。
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