本遺産群は、神宿る島を崇拝する伝統が、古代東アジアにおける活発な対外交流が進んだ時期に発展し、今日まで継承されてきたことを物語る世界でも例のない遺産群です。 ※ 「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群保存活用協議会のサイトより引用
スポット情報は、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の公式サイトから引用しています。
沖ノ島では、古代以降も年に数回の神事が行われており、17世紀半ばまでに、古代祭祀の場であった巨岩群の間に沖津宮の社殿が築かれます。沖ノ島は島そのものがご神体であるため、原則上陸はできません。。
沖ノ島は、島そのものがご神体であり、信仰の対象であるため、原則上陸はできません。渡島できない沖ノ島を遥拝(遥か遠くから拝むこと)するため、大島の北側の海辺に沖津宮遙拝所が設けられました。
中津宮は、大島に鎮座する宗像大社の三つの宮の一つで、宗像三女神の一柱湍津姫神(たぎつひめのかみ)を祀っています。御嶽山山頂の御嶽山祭祀遺跡を起源として、麓の海に面した高台に本殿が造営されています。
辺津宮は福岡県宗像市の釣川沿い「田島」と呼ばれる地区にある宗像大社の三つの宮の一つで、宗像三女神の一柱、市杵島姫神を祀っています。釣川沿いの旧入り海に突き出た丘陵上の下高宮祭祀遺跡を起源として、その麓に社殿が造営されていきました。海や川との関わりの深い三女神をまつる本土の信仰の場として、宗像大社の神事の中心となっています。
福津市にある新原・奴山古墳群は、海を越えた交流の担い手として沖ノ島祭祀を行い、信仰の伝統を育んだ古代豪族宗像氏の墳墓群です。宗像氏は、5〜6世紀にかけて、入海に面し沖ノ島へと続く海を一望する台地上に墳墓群を築きました。前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基の計41基が現存しています。